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熊本家庭裁判所天草支部 昭和43年(家)230号 審判 1968年11月15日

申立人 清水隆一(仮名)

被相続人 亡小宮ヤスヱ(仮名)

主文

被相続人亡小宮ヤスヱ(昭和三三年二月一一日死亡)の相続財産たる別紙不動産目録記載の物件を申立人に分与する。

理由

申立人は主文同旨の審判を求め、その実情として

一、申立人は被相続人亡小宮ヤスヱが大正八年一〇月事実上の婚姻をなし昭和三三年二月一一日死亡に至るまで生計を共にしていた内縁の夫清水芳孝の養子に当り、従つて被相続人とは事実上の養親子関係にあつたものである。

二、被相続人は養父清水芳孝と従兄妹の間柄で双方婚姻適齢期に達するに及び家も隣合せの関係もあり親族協議の結果双方とも戸主たる身分であつたが、両家の後継のことも考慮のうえ婚姻することになり、大正八年一〇月正式の婚姻届も出来ないまま養父の家で同棲、新民法施行後も双方間に子供が生れなかつたこともあり事実上の夫婦であるにも拘らず戸籍上の届をしないまま前記年月日養父、申立人等にみまもられながら死亡した。

三、これよりさき、申立人は同人等の養子として昭和二九年八月同家に迎へられ、さきに養父清水芳孝の養女となつていた同籍の昌子と婚姻しその家業である農業を継承したが、戸籍上の養子縁組については両名が戸籍上の夫婦となつていなかつたため、やむなく清水芳孝とのみ届出をなし、被相続人とは事実上の養親子関係として生計を共にしてきた。

四、別紙目録記載の物件は被相続人が家督相続により取得したもので、同人が養父清水芳孝と事実上の婚姻後は養父とともにこれが維持管理に当つていたが、申立人が養子として同居以後は申立人夫婦が主としてこれに当り公課も負担し現在に至つている。

五、ところで被相続人は全くの一人身で相続人がないところから、その相続財産の管理につき、申立人の申立により御庁は昭和四一年(家)第二八一号事件として相続財産管理人に養父清水芳孝を選任しその旨公告された。

六、そこで管理人清水芳孝は昭和四二年三月二二日相続債権申出の公告をなし、更に同人の申出により御庁は昭和四二年(家)第一三二号事件として「被相続人について、相続権を主張するものは昭和四三年一月一五日まで申出されたい」旨の公告をされたが、何れも期間内には権利を主張するものはなかつた。

七、申立人は上記のように昭和二九年八月以降前記年月日死亡に至るまで被相続人の事実上の養子として同居の上その生計を立て、かつ相続財産の維持管理に当り、死亡後は養父とともに葬儀供養の執行墳墓の管理に当り又将来祭祀を承継すべきものとして被相続人とは特別の縁故関係にあるもので、その相続財産につき分与をうけられるものとして本件申立に及んだ、というのである。

そこで当裁判所は

(一)  当庁昭和四一年(家)第二八一号相続財産管理人選任審判事件、昭和四二年(家)第一三二号相続人捜索公告審判事件の各記録

(二)  申立人及び被相続人に関する除戸籍謄本

(三)  別紙目録記載の登記簿及び土地台帳謄本

を調査し、かつ申立人及びその養父清水芳孝(相続財産管理人)並びに被相続人と同部落在住の岡田重造について各審問したところ申立人主張の実情が認められ、かつ又本件は民法所定の手続により適法に申立られており、申立人以外の者から同趣旨の審判申立はないが、被相続人に対する特別縁故者としては申立人の他四〇年に互り同棲内縁関係にあつた申立人の養父清水芳孝がより縁故の深い者として考へられるところ同人は本件相続財産管理人として相続財産処分手続について重要なる任務と深い利害関係を有するものであり、当裁判所としては、同人に分与希望の意思があれば同人に対し管理人の改任乃至は辞任を求めるなどの方途を構じたうえ処分手続を進めるを相当と思料するところ、同人は審問の結果によると本件相続財産については分与申立をする意思はなく、申立人に対し分与方を希望していることが認められる。

よつて当裁判所はこの制度が設けられた趣旨に鑑み本件被相続人の相続財産である別紙目録記載の不動産は申立人を民法第九五八条の三にいわゆる被相続人の特別縁故者としてこれに分与することが相当であると認め主文のとおり審判する。

(家事審判官 松信尚章)

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